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沿岸の風景

確か震災の翌年の春ころに、この辺りを通過したと記憶しています。
大きな被害を受けた造り酒屋さんが、少しだけ内陸の高台に新しい工場を建てていたのを、ちょっとだけお手伝いしました。
この町のシンボルのように報道されてきた、あの「一本松」の当時の姿も、車窓から見ました。
当時すでに、その後話題になった巨大なベルトコンベアーによるかさ上げ工事も始まっていたように思います。
今、ぼくがお手伝いしている高台の災害公営住宅の周りに盛り上げられた土砂。数年かけてようやく、巨大な津波にも侵されないだけの盛り土を作り上げて、そこにまだ、道路も街区もできていないのがこの町の現状ではあります。
ただ、あの時には、今見上げている盛り土と同じくらいの「瓦礫」の山が、いたるところにいくつも盛り上げられていました。あの瓦礫の山を片づけるだけでも、どれだけの苦労であったか。

あの幾つもの「瓦礫」の山、文字通り皆さんの町の間近にもある高さ数10メートルの小山ほどの「『瓦礫』の山」。
畳のかけら、柱や梁、家々の部材が粉々になったもの、家具や布団や小さなものたち、商店の品物の成れの果て、どれも名前も家族もある人びとが暮らしていた、それはもしかしたらぼくが袖振りあった誰かの身近にあったものかもしれません。
それらが、膨大な「ゴミ」の山となって積み上げられていたあの光景。
そして今、それらはすっかりなくなり、新しい町並みを作り上げられるための、あの時よりはずっと整然と積み上げられた土砂が、今、眼前にあります。
そこに、まだ人が住む町はできていません。災害公営住宅だけができても、商店も近くにはありません。お父さんが車で仕事に出かけて、お母さんが買い物に行くには、間違いなくもう一台、車がないとどうにもなりません。
多分人びとが住んでも、まだまだ不自由な思いをするでしょう。それでもプレハブの仮設住宅ではなく、あるいは避難先の仮住まいでもない、故郷に新しく建てられた頑丈な住まいです。
そんな町がやっとできつつある、ちなみにこの町は市役所すら、未だにプレハブの仮庁舎で、新しい市役所の立地すら決まっていない。つまり市は自分たちの庁舎よりも、もちろん市民の住まう場所を優先したわけです。
それが、この町の、この6年だったのだとすれば、もちろん誰にも「遅い」などとは言えない。
そしていまだにぼくが見ていない沿岸のどの町にもその町の事情と、復興への努力があり、自治体にも住民の皆さんにも様々な思いがきっとある、ぼくは多分もう何年かは、東北の町々で仕事をするつもりです。沿岸の仕事を積極的に選びもするでしょう。そのために多少はストレスフルな仕事の仕方すらする覚悟もしています。
まだ、語りきれずにいるあの年の東北の方ことを、少しずつでも言葉にしたいし、それからのことも語りたい。
それはとりも直さず、どうやらぼく自身のことを語ることでもある、そんなことに、最近どうやら気がつきました。

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