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港の女

函館方面に出張にくるなら儂らの業界では大概ここに泊まる某民宿。
気っぷはいいが口は悪い多分80近いの婆が1人で切り盛りする、昔は平気で2、30人泊まって職人どもも婆も残業早出の修羅場をこなしたもんだがこの不景気に加え、婆もさすがによる年ナミ、今では4、5人相手にそれでもてんこ盛りの大皿料理を食いきれないほど出してくれ、洗濯をすればどんどん干してくれ、仕事から戻る頃には丁寧にたたんでおいてくれる、涙が出るほどありがたい宿である。

今年はおれも夏以来、富良野江差厚沢部標茶浦幌とここで6軒目の宿だが、「くつろぐ」ということに関してはテレビもアナログでネットもつながらないし、風呂はもちろん温泉でもないここが一番なのだから、まぁおかしなものだよ。

職人どももこの宿の話題になると、誰もが「自分だけがいかに婆に特別に可愛がられたか」を語りたがる、人徳だよなぁ。
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ぱんつの時速という話、なのか?

昨日道北の現場を発ち、道東の別の現場にいる担当者と打ち合わせにまたしても約200キロ2時間15分、すまんちなみに全行程一般道だ。担当者が午後の飛行機で東京に戻る前に着かねばの娘だったとはいえ、本当にこんな移動ばかりでは免許証がいくつあっても足りない、とか言ってる場合でもないが。

その現場で一人ピックアップして札幌に。一般道をあんな勢いで走っておいて、道東道はわりとおとなしく、時間に余裕があったのもあるが、これでも人を乗せると運転が変わるんよ。

自宅で一泊?して、午前4時起床でまた車中の人となる。近所の飲み屋のおねいさんが、多分最後の客を見送るのを横目に今度は道南へ250キロばかり、8時前に着くように…、まぁもう、どんな運転してるかご想像におまかせしますわ。


もう札幌の都心部とかの、運転のしかた忘れたかもしらん。



函館付近の出張の際、昔から必ず泊まる宿を切り盛りする婆、5、6年ぶりだが、相変わらず元気そうだし口も悪いし、懐かしい。

前の出張先からそのままバッグに入れて疾走してきたぱんつや靴下も洗濯して、ようやくいくらかくつろいだ気分だが、明日からまたおそらくますますハードな現場になる予定なのであった。

帰った?

んで、本当に帰った?

現場のある町から車で30分ばかり、母の実家は当時の国鉄の駅から背後の丘を登る中腹にあったと記憶していた。

駅の跡地がどうなっているかも見当つかないし、雨の夜だ、もちろん土地勘なんてない。

それでも市街地の中心部を目指せばなんとなくわかるかもくらいの気持ち、わからなければさっさと戻ってくるつもりだった。

商店街の先にバスターミナル。

このあたりが駅だったとすると、当時は線路を越える歩道橋があり、その先を登っていく道が…。
まぁ今は線路もないから歩道橋もない。

車が普通のアスファルト路面と違う振動を伝えたのは、線路のなごりか?

神社。

嗚呼そうだ、神社があった。駅のほとんど真後ろ。
だとすれば少し戻ったこのあたりを登っていく道、登ったつきあたりに、そうだ、幼稚園。

幼い記憶が次々によみがえる軽いフラッシュバックだが、やはり子供の記憶、スケールが違う。この坂はこんなに緩やかでこんなに短かったんだ。
かつての実家のすぐそばで一人暮らす叔母も突然の訪問を驚いていた。


とにかく生まれた土地だから、「帰った」のだろうとは思う。
で、多分明後日には、用足し含めて7時間ばかりかけて妻の待つ家に「帰る」予定なんだが、その翌日には蝦夷地の逆のはずれまで走る運命ときた。

いつまでたっても「ここじゃないどこかへ向かう道の上」

「Hobo's Lullaby」だか「500Miles」だか、とにかくおぶらでぃ・おぶらだ らいふ ごーず おん だぜ。


あーそういえばH.I.S. の500Miles、あれもたまらんかったなぁ。

放蕩息子は猫である

「放蕩息子は電気羊のジンギスカンを食うか?」
いや、確かに今夜の宿の晩飯はジンギスカンだったんだが、後は思いつき。

「放蕩息子忍法帖」

「女王陛下の放蕩息子」
「屋根の上の放蕩息子」

どうやっても放蕩息子にふさわしい場所ってないよな。

正しい放蕩息子の帰還

ところがこの町で唯一のコンビニにATMがなく、どうやらATMがあるのは郵便局と農協だけらしい、という自分が手元不如意でなければ軽く感動してしまいそうな話だが、財布の内情が少し困ってきた。

で、仕事のあと車を飛ばす。一番近いATMがある隣町のコンビニまで30分。さっさと金を引き出し、とっとと帰る。
市街地にも立ち入らない30年ぶりの生まれ故郷。
まるで金だけ無心してあわただしく立ち去るドラ息子だ。

まぁいずれゆっくり訪ねるから、今回は勘弁してくれ。

放蕩息子は帰還しない


母の生家はオホーツク沿岸の港町。おれもその町で生まれはしたが、確か3歳を前に離れたから、ある日銭湯でお腹の大きな母から「もうすぐ妹が弟ができる」と言われた記憶がおそらくその町での唯一の、そしておれの一番幼い記憶だ。

もちろん祖父母や他の親戚も住んでいたから、子供の頃には何度も訪れたのだが、確か最後に訪ねのがいとこの結婚で、あれはハタチ前ではなかったか。

その町の、隣町まで来ている。車で1時間も走れば訪ねられるのだが、30年近い時間が過ぎていれば、町の姿もすっかり変わっていようし、さてどうするか、思案中。

宿は老婆が一人でやっている民宿。かつては食堂を営み、亡くなったご主人は隣に鉄工所を持ってらしたという。元鉄工所の敷地は今は民宿の駐車場だ。

6歳というから人間ならいい若い衆の年頃の「ゴエモン」が、ストーブに一番近い特等席を独占している。

向日葵畑


先日までいた現場から札幌に戻る途中、摩周湖近くで、車窓から撮影した向日葵畑。
秋の透明度の高い陽光を浴びる向日葵は真夏のそれとはまた違った眩しさがひと目を惹く。

友人が札幌近郊でも見たようだから、最近は秋咲きの向日葵が結構商売になってんのかもしれない。切り花でもよく売ってるしな。

今日も帯広近郊の畑で、さすがにもう珍しくないくらい見かけたが、秋雨に向日葵畑ってのもまた、なかなか違和感の光景でしたが、生憎今日は撮らなかった。

蝦夷地であまりお目にかかれない、高さ2、3メートルくらいあって直径も2、30センチありそうなの向日葵がすっかり枯れて重たそうな種をぎっしり蓄えて首を垂れてる姿って、結構好きだったんだがな。

蝦夷地をなめるな

「未開の原野」なんて言葉にすれば簡単だが、生い茂った木々を一本ずつ、ノコギリで曳き倒しては根塊を掘り起こし農地を拓いた先祖がこの土地にはいた。

熊や鯨のもたらす豊かさに神を見いだして感謝をささげて生きていた、この土地の先住民の皆さん、彼らと触れ合って生きた先祖や、その先住民の皆さんを騙して肥え太った先祖も、或いはいた。

暗い地の底で落盤の恐怖と日々対峙しながら石炭を掘っていた父や兄も或いはいた。

新しくできた「国家」が気に入らなくて、独立国を起こそうと目論んで散っていった者たちもいた。

「北海道」は結構したたかな者たちの歴史の上に立っているのだよ。

もちろん昨今暮らしは楽じゃあないが、今更多少の不景気や生活苦。先人たちが越えてきた辛苦や豊さを思えばまだまだ多分ヌルい。


だから「北海道を元気に」とか「北海道のなんとかを元気に」とか大声で言う皆さん、悪いが「大きなお世話」だ。
確かに働けど働けど我が暮らしどんどん苦しくなるけど、自分の気力くらい自分で面倒みてられるぞ。

ついでに、僅差で日本シリーズへの切符を逃した日ハムに「元気をもらった」なんて、おれは言わない。来年その僅差を埋められるよう、ファンが後押ししないでどうする?

まぁあえて、ワガママ言うなら「元気」なんかくれなくていいから、「工事単価」気前よくあげてくれ。
百眼読書録
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