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この一言だけで金を払う価値がある。


今日帰宅したら届いていた。

■ 東北文化友の会会報『まんだら』第26号

東北学講座4
狩猟文化と縄文の精神世界


人間が生活する「里」と、時に荒々しい「手つかずの自然」との「緩衝地帯」としての里山の問題などにも、決してきれい事だけでは語らない、この誠実さがたまらなく好感をおぼえる。

先日見逃したBSの放送を収録したものだが、新聞のテレビ欄の『野生動物との共生を』なんていう口当たりのいい言葉などでは、全然足りない、現実の深刻さや、なにせ縄文以来1万年を超えて積み重ねてきたモノの豊かさ。

田口洋美氏の紹介された老マタギの言葉の重さ。

「俺の命は親からもらった。でも、体は山が作ってくれた。息子や女房は動物たちに生かしてもらった。だから俺が死んだら俺が喰われる番だ。」

少し前の六車由美氏の記事などとも微妙にシンクロしつつ、とてもかなわない。
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その圧倒的なエネルギーもさることながら

網野善彦さん監修の講談社「日本の歴史」が出始めた頃、友人が言ってたのは「網野さん以外の学者の文章ってなんであんなに読みにくいんだ?」同感。
学術論文の文体が染みついちまうのかね?

中沢新一にしても、赤坂憲男にしても、自分の考えや思いを本当に伝えたいという情熱につきうごかされて書いている方々は、もちろん殊更自分を「高尚」に見せるようなレトリックも使わないし、多分その方がご自分の情熱が正しく伝わるのだと、知ってらっしゃるのだろう。

この国のマトモなロックミュージシャンがその歴史に、江戸アケミの記憶を持っているのと同じように、この国のもっとも良質な学者の皆さんの記憶に、きっと宮本常一がある(いる)んだと思う。

■ 民族学の旅 宮本常一
講談社学術文庫

ご本人の生家のことから始まる、まぁ自伝的な著作といっていいのだろうな。

「ただ歩くことが好きであり、働いている人の姿や顔を見るのが好きであった。」(P65)

読めば読むほど、その大きさに圧倒されるのだが、この「巨人」は、瀬戸内海の小さな島の郷里の人々や、この国中の(世界中の)同じような小さな町や村の人々とずっと一緒にい続けたのだなぁ。


「屋久島の年寄りたちの話は語り物を聞いているような感じのするものが多かったが、今『屋久島民族史』を読みかえしてみると、私はそれをすっかり散文にし箇条書きにし、(略)ことばそのものの持っていたひびきのようなものは洗いおとしてしまっているのである。(略)物を調べ、それを文字で再現するのがどんなにむずかしいことか。」(P109)

やはり「ことば」で表現することの根幹のところで、しごく真っ当な問題意識をだいておられたのだな。

この国に生きてるってことは、ずいぶんと豊かな財産を受けついでいるのだ。

おらが町アースダイバー地図。その1

東京アースダイバー地図は中沢新一のオリジナルの著作に付録のようにしてついているが、東京以外にお住まいの多くの読者の方がおれと同じように「自分の街のアースダイバー地図が欲しい」と思われたのではないか?

そこで、

なければつくってしまえばいいのである。

例によって強引。



大きな書店に行けば国土地理院の地図を扱っている。二万五千分の一 と五万分の一とか。


「1/25000 都市圏活断層地図 札幌」 800円。
その名の通り地震の際の危険度の研究などに使われるモノだと思うのだが、地質や形成された時期によって色分けされているので、シロウトが大まかに気分を味わうのにはこんなモンで十分だろう。(はいっ、このへんかなりいい加減です。笑っ)

レジへ持って行くと、札幌の紀●國屋書店の店員さんでも普通の地形図と勘違いして「270円です」とかおっしゃるから、にこやかに訂正してあげて、好感度をあげておこう。まぁ次まで覚えていてもらえるとはあまり思えないけどね。

さて、これに自分でかつての川筋やら、海岸線やら、これまでに発掘された遺跡やらを書き込んでいけばいいわけだが、それはまた今度。
気が向いたら続く。へっへっへっ。


文字通り「歴史の上で」生きているのだよ。

中沢新一の「アースダイバー」を読んでいる。
縄文時代の地形と生活史と現在の東京を重ね合わせて読み解くこの試みについては、どうやら多くのブログがすでに書かれているようだし、今更改めて解説はしない。

週刊誌の連載をご本人もだいぶん意識されたのだろう、文章も読みやすいし、東京に少しでも土地勘のある人には間違いなくおもしろく読めるだろう。

あまりにおもしろいのが悔しくて(笑っ)自分が住むこの町で「アースダイビング」してみたくなった。もちろん縄文時代と現在を重ね合わせたような特殊な地図など、そう簡単には入手はできないが(誰か作ってくれませんかね?)ここ北海道に限っては、あまり大昔の地形にこだわる必要が、実はない。なにせこの土地は「縄文」のもっとも正当な継承者たちが、どこよりも長く暮らしていた土地である。

■ さっぽろ文庫 90 古代に遊ぶ
札幌市教育委員会編 北海道新聞社

序文を寄せている元市長が北海道は長く「先史時代」が続いて日本の文化からずいぶん遅れていたみたいなことを書いておる。(ここ、かなりおおざっぱにとらえてます)
もちろん東北学の徒(?)としては「縄文の豊かな精神性をどこよりも長く伝えていた」誇らかに語りたい。

札幌市内だけで500カ所もの遺跡が確認されているらしい。
もう、そこいらじゅう「掘れば遺跡」である。

ちなみに札幌市内はそこいらじゅう「もっと深く掘れば温泉」だがこれもまた少し逸脱。

何よりも「倭人が入植する前は札幌は原野であった。」みたいな激しく間違ったイメージを、声を大にして覆さなければなりますまい。

「人を喰ったやつ」とは言われたことはありますが。



■ 神、人を喰う 人身御供の民俗学
  六車由美  新曜社
  
 
人身御供としてリアルに「自分の肉体を喰われる」こと。そしてあるいは、神への供物を、ともに喰らってきた「神事」「祭り」。

自然の力の象徴であった熊を神とあがめていた歴史を持つ民族は結構多いらしいが、その「神」が時として人を襲い、喰った記憶(そしてその「神」を、人もまた喰った記憶)なんかも影を落としているのだろうか?


私たちは、家畜であれ野生の生き物であれ、あるいは植物や昆虫であれ、何らかの形で「命」あるいは「かつて命を宿していたもの」を喰って生きている。


「神話的思考」の時代の私たちの祖先が、死体が腐敗していく様や「土に還る」ことについてどんなふうに理解していたのがは不明だが、死後の私たちの肉体のたどる行く末も、微生物や昆虫などに「喰われる」。あるいは火葬されて灰になって大地に染み入って植物に根から吸収されるのも「喰われる」と言っていいかもしれない。

けっこういろんなイメージのふくらみそうなテーマなのだが、関連しそうな研究はあまり見つからない。残念。
百眼読書録
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