1. 無料アクセス解析

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

深く掘れ

ミクシにもいつのまにか「東北学」のコミュがたっていたが、おれ的に今この国で一番かっちょえー思想家かもしれない赤坂憲雄の対談集。

■ 東北ルネッサンス―日本を開くための七つの対話

  赤坂憲雄 編 小学舘文庫

対談相手は、五木寛之・井上ひさし・高橋克彦・高橋富雄・谷川健一・中沢新一・山折哲雄、の7人。対談時期は2002年だから、まさに初期の東北学の勢いにも展開にもいろんな意味で影響を及ぼしたに違いない刺激的な会話たち。


文庫版まえがきの

「汝の足元を深く掘れ、そこに泉あり―。」

って一文にシビレて即買い。

あとがきは盟友(?)熊谷達也でまたお得。
スポンサーサイト

山寺立石寺

東北文化友の会という会の、実は年会費を払っていて、つまり会員であったりする。

東北工科芸術大学の研究機関「東北文化研究センター」の「研究者、市民との交流拠点」という位置づけ、会員の特典としては

(1) 友の会会報『まんだら』の配付(年4回)
(2) 『季刊東北学』の配付(年4回)
(3) 公開講座・上映会・講演会・シンポジウムなどの会員特別料金
(4) 東北芸術工科大学図書館の利用
(5) 地学連携のための助成金制度への応募資格。

といったところで、蝦夷地在住のおれは講座や図書館に足繁く通うわけにもいかず、もっぱら会報『まんだら』と『季刊東北学』を毎号送付していただくだけなのだが。

『まんだら』と『季刊東北学』は毎回一緒に送られてきて、先月も最新号が届いたのだが今回はもう1冊小冊子が同封されていた。


■ 慈覚大師円仁 追慕の情景
  千歳 栄
  東北工科芸術大学東北文化研究センター
  
平安時代の比叡山の高僧の遺骨が、木彫りの頭部像とともに、山形の山寺立石寺に運ばれ納置されていたという、それだけでも興味深い話だが、この寺のたたずまいがまた、ぜひ訪れてみたくなる玄妙なさまで大いに惹かれる。





どうやら会員限定配布の非売品らしいので、興味のある方は直接問い合わせられたらよろしいかと。

http://www.tuad.ac.jp/tobunken/

theme : 日本文化
genre : 学問・文化・芸術

この一言だけで金を払う価値がある。


今日帰宅したら届いていた。

■ 東北文化友の会会報『まんだら』第26号

東北学講座4
狩猟文化と縄文の精神世界


人間が生活する「里」と、時に荒々しい「手つかずの自然」との「緩衝地帯」としての里山の問題などにも、決してきれい事だけでは語らない、この誠実さがたまらなく好感をおぼえる。

先日見逃したBSの放送を収録したものだが、新聞のテレビ欄の『野生動物との共生を』なんていう口当たりのいい言葉などでは、全然足りない、現実の深刻さや、なにせ縄文以来1万年を超えて積み重ねてきたモノの豊かさ。

田口洋美氏の紹介された老マタギの言葉の重さ。

「俺の命は親からもらった。でも、体は山が作ってくれた。息子や女房は動物たちに生かしてもらった。だから俺が死んだら俺が喰われる番だ。」

少し前の六車由美氏の記事などとも微妙にシンクロしつつ、とてもかなわない。

「人を喰ったやつ」とは言われたことはありますが。



■ 神、人を喰う 人身御供の民俗学
  六車由美  新曜社
  
 
人身御供としてリアルに「自分の肉体を喰われる」こと。そしてあるいは、神への供物を、ともに喰らってきた「神事」「祭り」。

自然の力の象徴であった熊を神とあがめていた歴史を持つ民族は結構多いらしいが、その「神」が時として人を襲い、喰った記憶(そしてその「神」を、人もまた喰った記憶)なんかも影を落としているのだろうか?


私たちは、家畜であれ野生の生き物であれ、あるいは植物や昆虫であれ、何らかの形で「命」あるいは「かつて命を宿していたもの」を喰って生きている。


「神話的思考」の時代の私たちの祖先が、死体が腐敗していく様や「土に還る」ことについてどんなふうに理解していたのがは不明だが、死後の私たちの肉体のたどる行く末も、微生物や昆虫などに「喰われる」。あるいは火葬されて灰になって大地に染み入って植物に根から吸収されるのも「喰われる」と言っていいかもしれない。

けっこういろんなイメージのふくらみそうなテーマなのだが、関連しそうな研究はあまり見つからない。残念。

このくらいのことを平然と言ってのける覚悟で…

既に5号も出版されていて、そっちは先日購入してきたのだが、まだ手をつけられずにいる。

■ 季刊東北学 4号
特集 宮本常一、映像と民俗のはざまに

「民俗学の巨人」とか言われている方だが。

かなり以前、友人と話していて

友人S[天才の定義の中に『作品の量』ってあると思うんだ。手塚治虫とかフランク・ザッパとか」

おれ「あ~わかるわかる、立川談志とか荒木経惟も」

宮本常一も間違いなくその、歩き、記録し、著述した量において「天才」の呼称に値するだろう。

かなりガツンとくる一節があったので記しておくことにする。 宮本氏の著作に批判的な出版物に対して言ったという一文なのだが

P063

「書き上げた時、著者は遙かに先を向いて歩いているものだ」

この毅然とした姿勢、全ての「ことば」を発するプロフェッショナルの胸に刻んで欲しいものだ。
百眼読書録
Twitter on FC2
カレンダー(月別)
04≪│2017/03│≫05
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
月別アーカイブ
ユーザータグ

MUSIC  とりぱん 東北 PHOTO 木建工事 IRISH エマーソン北村 松竹谷清 三度のメシ PC KelticCowboys スワローズ TO 日ハム 新庄 BASEBALL COMIC Hometown 野鳥 東北のこと 秋田にて Baseball RSR Twitter WRITE アイリッシュ CATS 

カテゴリー
最近のコメント
最近のトラックバック
QRコード
QRコード
最近の記事
PHOTO and TEXT by

■眼谷猪三郎■


メールはこちら

■眼谷猪三郎■ 「まなこだにいさぶろう」

リンク
ブログ内検索
RSSフィード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。