1. 無料アクセス解析

或いは出来損ないの末裔のように

秋田の出張、ようやく終えて北へ向かうフェリーの船室、客室は思ったほどは混んでいない。早々に乗船して空いてる二等船室に入れば、後からきた乗客が部屋を覗いておれの顔を確認したとたんに目をそらして他の部屋を求めて行くのも、そんなのが申し訳なくて荷物だけ残して一旦船室を出て煙草を吸ったり缶コーヒー買ったりしてる間に、それなりに船室に乗客が収まっているのも、もう何度も経験した光景。

帰っても中途半端なGW消化したらまたすぐに出張らしい。難儀な稼業でござんす。

秋田での最後の日曜、また図書館まで長い散歩。城跡の公園では桜祭り、ちょうど満開を迎える頃。城跡を縦断するように通り抜けて図書館では菅江真澄の蝦夷地での行跡を読みあさった。

ちょっとびっくりしたのは、江差での猫の話し。
母猫が梁から落ちてきた子ネズミを捕まえたと思ったら、自分の仔猫たちと一緒に乳を与えたという逸話。本当にいろんなことにアンテナ張り巡らしていひとだったんだな。

図書館ならではで、真澄の挿画だけ編んだ贅沢な大判の画集もじっくり見られた。ありがたいことである。


ここのところ、少し写真を撮る姿勢を見直しつつある。結果、あまり携帯のカメラを使わなくなってwebへのアップは頻度が落ちているのかもしれない。

昨年の妻からのクリスマスプレゼントがきっかけで、手帳やノートに言葉を記すことも増えて、このブログやTwitterもFBにも、以前ほど何でも書きこまなくなっているとも、自分で思う。

菅江真澄の足跡や、さらに遠い昔、古代蝦夷の痕跡など、空間も時間も、夢想も現実もごちゃごちゃの旅をしているようなものだと、今少し思う。

そんなデタラメな旅の記録を、やはり残さずにおれない業の深さ。
菅江真澄の、かなり出来損ないの末裔みたいなもんか。

山門

現場の都合で2日半も休みになってしまった。
出張先でこれは正直つらいものがあるのだが、せっかくだから有意義に使うべし。

ということで、昨日は片道7キロほどを歩いて、市内の図書館まで行き、菅江真澄関連の調べ物。

今日は先日うろついた近くに訪ねてみたい神社やお寺があったのでそちらへ。

かなりふるいらしい山門。



これだけでもいい味なのはおわかりででしょうが、山門といえば左右に阿形吽形の仁王像がたっていたりしますよね。

御覧ください。



阿形像です。




吽形像です。

しかもなぜだか狛犬風味。

いろいろと興味深いのですが、どうも古いという以外の情報があまり見当たらない。

tag : 秋田にて

出張先の墓参

昨夜、Facebookで知人がLou Reedのボックスセットに言及していたのが、どうやらコトの発端らしい。
今朝は宿の部屋で、



こんなのや



こんなのを視聴して、気分も盛り上がったところで、休日の長い散歩に出た。

セコハン書店で文庫を買って、昼食とコーヒーの後、秋田城っていう史跡を目指した。去年行った志波城同様大和朝廷の北方侵出拠点の城柵跡。

久しぶりに少しマトモにカメラでスナップなどしながら、スマホのマップで大雑把な方向だけ確認してずんずん見知らぬ町を歩く。

目的地近くで、どうやら古そうな神社を見つけて寄り道しようとした百眼の目に、飛び込んできたのが

「菅江真澄の墓 400m→」

という看板。
「!」

全然チェックしていなかったから、ちょっとびっくり、同時に興奮。心拍数まで上がった気が。

「も、もちつけ、おれ」

まず、これを引きあわせてくだすったに違いない神社にきちんとお参りして、ちゃんとお賽銭も大枚二十円投入。
地元の神様にご挨拶も済ませたところで、お墓への道に向かう。

神社に入る際に止めたiPod、そのまま再生したら、ちょうどLou Reedの「Beginning Of A Great Adventure」がかかってた。出来すぎだが本当。




海に注ぐ川を見おろす丘の上の墓地に、菅江真澄のお墓はたたずんでいらした。
墓石の前に座り込んで、しばし話をする。

「お休みのところ、起こしちまってすみませんね。蝦夷地から来ました。」

「お会いできて嬉しいです。どうやらまた何かありがたいものに導かれたらしくて、気がついたらすぐ近くに来ちゃってたんですよ。」

「そんなわけで手ぶらなんです。ごめんなさい。」

「うちの女房もあなたのファンなんですよ。次はきっと連れてきますね。」

そんなわけで、たぶんLou Reedに、菅江真澄のお墓まで案内されてしまったという、世にも不思議なお話でした。







もうふた月あまりでたぶん21歳になるこやつは、どうやらもうほとんど見えていないにもかかわらず、ご覧の通り自分でいまだにテーブルに登る(椅子は中継するが)し、部屋の中、餌置き場もトイレも、見ている限り記憶とたぶんひげの触感を頼りに歩きまわり、好物の猫草を食う姿はその時だけいまだに肉食動物そのものという力強さ。

少し前に血尿気味だというので獣医に連れていった妻が、医師も驚く程数値がよかったと胸を張る健康優良老猫。


人間なら100歳越えは間違いないみたい。

練馬の畑で拾ったから親兄弟はまぁ野良だろう。もうみんなあっちに行ったんだろうな、下手すりゃ甥姪もそうか。

そのまますくすく猫叉にでもなんにでもなってくれ。

再掲

「ちひさな群れへの挨拶」   

あたたかい風とあたたかい家とはたいせつだ

冬は背中からぼくをここごえさせるから

冬の真むかうへでてゆくためにぼくはちいさな微温をたちきる

をわりのない鎖 そのなかのひとつの貌をわすれる

ぼくが街路へほうりだされたために

地球の脳髄は弛緩してしまう

ぼくのくるしみぬいたことを繁殖させないために

冬は女たちを遠ざける

ぼくは何処までゆかうとも

第四級の風てん病院をでられない

ちひさなやさしい群れよ

昨日まで悲しかった

昨日までうれしかったひとびとよ

冬はふたつの極からぼくたちを緊めあげる

そうしてまだ生まれないぼくたちの子供をけっして生まれないようにする

こわれやすい神経をもったぼくの仲間よ

フロストの皮膜のしたで睡れ

冬のあいだにぼくは立ち去ろう

ぼくたちの味方は敗れ

戦火が乾いた風にのってやってきそうだから

ちひさなやさしい群れよ

過酷な夢とやさしい夢が断ちきれるとき

ぼくは何をしたろう

ぼくの脳髄はおもたく ぼくの肩は疲れてゐるから

記憶という記憶はうっちゃらなくてはいけない

みんなのやさしさといっしょに


ぼくはでてゆく

冬の圧力の真むかうへ

ひとりっきりで耐えられないから

たくさんのひとと手をつなぐというのは嘘だから

ひとりっきりで抗争できないから

たくさんの人と手をつなぐというのは卑怯だから

ぼくはでてゆく

すべての時刻がむかうかはに荷担しても

ぼくたちがしはらったものを

ずっと以前のぶんまでとりかえすために

すでにいらなくなったものはそれを思いしらせるために

ちいさなやさしいむれよ

みんなは思い出のひとつひとつだ

ぼくはでてゆく

無数の敵のど真ん中へ

ぼくは疲れている

がぼくの憤りは無尽蔵だ
          
ぼくの孤独はほとんど極限に耐えられる

ぼくの肉体はほとんど過酷に耐えられる

ぼくがたふれたらひとつの直接性がたふれる

もたれあうことをきらった反抗がたふれる

ぼくがたふれたら同胞はぼくの屍体を

湿った忍従の穴へ埋めるにきまってゐる

ぼくがたふれたら収奪者は勢いをもりかえす

だから ちひさなやさしい群れよ

みんなのひとつひとつの貌よ

さようなら


「転位のための十編」から
昭和27年創作 吉本隆明 27歳
勁草書房 「吉本隆明全著作集1」 定本詩集 昭和43年12月20日初版発行 "
http://www5e.biglobe.ne.jp/~wood-man/dokusyochiisanamure.htm

百眼の2012/3/11

ロックバンドや映画のスチル写真を撮っていた20代後半の頃、そんな作業を自分で「INTERPROVOKE」とかっこつけて呼んでいた。
音楽や映画や、演じることに携わる人々と、写真を通じて挑発しあえればという、まぁ今にして思えば恥ずかしいくらいに青臭い思い上がりからだ。

もう少し後には「モノを表現せずにおれない、なんて実は恥ずかしいコトで、『アーティスト』だなんて自称する行為は無自覚このうえないのではないか?」とサトるのではあるが、農家が作物や家畜を育て、漁師が魚を捕り、会社員がモノを売って価値を作り出す行為と、バンドマンが演奏し映画監督が映画を作り、照明さんがライトを担ぎキャメラマンがフィルムを回し助監督がカチンコを鳴らす行為のどれにも、価値の高さに差などなくて、一人ひとりの在り方にだけ、どうしても崇高なものやそうでないものがあるのだと、そんなことに思い至るまで、どうやら生まれてから30年ほどもかかってしまった。

それでも大好きなミュージシャンのイカしたライブの写真を撮るのは当たり前に気持ちが昂ぶる。つくづく思うのは、紡ぎ出される音楽が好きなのは言うまでもなく、その音楽をその日演奏するに至った、その人の在り方がやはりどうしようもなく我が身を焚きつけ、挑発してくれるからなのだと思う。


昨年の3月アタマに、実は一度会社からの東北への出張を、自分の事情から断った。そのまま出張に出ていれば1年前の今日は、青森県のゲンシリョク関係の施設の工事現場で迎えていたはずだ。

その後の顛末はこのブログの昨年のエントリーを参照していただきたい。
3月末から宮城や岩手をウロウロして、大きな余震にも遭った。


宇都宮裕三さんは、そんな頃に予備校の春期講習の講師で仙台に来る深夜バスの中からメールをくれた。かれこれ30年前、二十歳になるかならないかのガキンチョの頃に出会った敬愛する友人、彼が久しぶりに書いた芝居の脚本、スタインベックの「ハツカネズミと人間」の彼なりのアレンジだという。仙台のホテルに泊まるという彼と再会の約束をするも、直前に大きな余震。
ホテルも停電で、当然講習どころではなく、ホテルでなすすべなく待機していたらしい。それでも4月の日曜の夕方、どうにか待ち合わせて、仙台駅近くの居酒屋で会うことができた。

あの晩語ってくれた、古典を自分の言葉で書きなおす作業に、音楽表現でいうところの「カバー』とよく似たものを感じたのを覚えている。

その後も夏の始まりまで宮城や岩手にいたおれは、盛岡の近くの本屋でようやく「ハツカネズミと人間」を書った。

あの晩彼が語ってくれた芝居が、まもなく幕を開ける。

「HELP!-『ハツカネズミと人間』より」

ユニット TOGETHER AGAIN

2012/03/15(木) 〜 2012/03/20(火)

http://stage.corich.jp/stage_detail.php?stage_id=32504


またしてもたまたま、関東某所に出張にきていたおれに、写真を撮ってほしいと依頼をいただいた。舞台の写真の実績などないおれに、なんとありがたいお言葉。

今日一日、震災当時のこと、その後の日々のこと、思い出しながら間近に迫った芝居の撮影の準備をしていた。

盛岡で初めてみて以来、何度も勇気づけられた「復興の狼煙ポスタープロジェクト」も今日、素晴らしい新章を発表された。

http://fukkou-noroshi.jp/

震災を扱ったテレビ番組とか、たぶんいまだに正視できないと思う。まぁ幸か不幸かテレビなんぞまともに見られない出張先の宿ゆえ、今夜はもう一度いただいた脚本読み返しながら、撮影のプランとか、確認しつつ過ごすのであった。

出張先の自炊ライフ

北関東某所のレオパ☓ス暮らし。
2LDKに4人が住む窮屈さだが、部屋はとりあえず一人で占領、まぁこのくらいは苦にならない。4人のうち2人はほぼ自炊と無縁でスーパーやコンビニの惣菜ですましているので、キッチンと冷蔵庫はおおむね2人で使用。とはいえ大げさな調理道具は邪魔だし、そもそも出張の荷物は少なくしたいもので、百眼の調理器具は20年くらい前に買ったキャンプ用のコンパクトなコッヘル(鍋)2つと、スプーンフォーク、割り箸、あとはホームセンターで買った薄っぺらなまな板と果物ナイフ。以上。
調味料はさすがに必要に応じて揃えているが、実はまだ味噌もない。笑っ

炊飯器もさすがに持ち込んでいないからメシはパックのもの。実は食わない日も少なくない。
仕事から帰ってからの料理でもあり、ほとんど一つの鍋で済むもの、それも一度作ったら2日3日手間をかけずに済むものになる。コンソメ味の野菜スープを大量に作っては、翌日キムチを投入してみたり、醤油出汁の鶏鍋風にしたら、その鶏と魚と野菜の味の沁みた出汁にカレーを入れて二度と再現できないカレーうどんを作ってしまったりという具合。

今夜はクリームシチュー。玉ねぎ人参鶏肉をオリーブオイルで炒めて、じゃがいもも投入してから、水とブイヨン。少々煮込んだところで缶詰のホワイトソースと塩胡椒。
このあたりで、洗濯が終了したので、煮込みつつ洗濯物を干して、最後に舞茸を石突きだけとってちぎり入れてもうひと煮込みして完成。

半分近く食って満腹、残りは明日、また味つけをアレンジしていただく予定。

家にいれば妻がバランスよく考えた食事を用意してくれるのだが、一人っきりの自炊ならこんなもん。それでも会社が決める激安旅館の食事よりは野菜もたっぷり食っているし、コンビニやスーパーの弁当より安上がりかどうかはわからんがずっと美味いもの食ってると、ひそかに自負しているのであった。



「河北新報のいちばん長い日」

以前も少し書いたが、震災をめぐる著作や、テレビ番組も、いまだに涙腺が自動的に決壊気味になって、昨年の経験の軽いPTSDかとさえときどき思うのだけど、自分があのタイミングで東北に行って見聞きしたもの、どれも自分にとって財産なのだと、思いたい。当時、全国放送の、つまりは東京目線のテレビが原発の事故にシフトしてゆくのをやむを得ないと思う一方で、そのヒステリックさやそれ以上に現在進行形で津波の被害やその瓦礫のやまからの復旧が進まない東北の実態の報道が後退してゆくのを、軽い憤りすらおぼえながら見ていた。
全国紙などほとんど読まずに、機会があれば河北新報や岩手日報を読んでいた。
恐怖も絶望も、もちろん希望も、自分が踏んづけている土地の温度、日々見ている人々の体温、あの時期の東北の地方紙は、本当に強烈な力を見せていたように思う。

考えてみれば、これらの新聞社の皆さんも、同様に被災者なわけで、家や家族を失ったり、もちろん社屋だってただごとではない被害を被っていたわけだが、あるいはそんな中でこそ、報道することの意味や使命が、より鮮明にもなったのかもしれない。

「河北新報のいちばん長い日」は、そんな思いを裏付けてくれる気がする。
本社のサーバーも倒壊、支局もあちこちで当然甚大な被害、という状況で、それでも当日夜には号外を発行し、翌日の朝刊も、同様に新潟日報との相互支援協定で発行にこぎつける。
圧巻は震災後まもない頃、まだ通信も交通網さえまともに機能していない時期に販売店の店主さんが自ら裏道を探しながら印刷工場まで新聞を求めてやっ たというエピソード。

案の定随所で泣かされっぱなしである。

3月の仙台で、店内がほとんど空っぽのコンビニのガラス一面に新聞が貼られていて、それを通りがかる人が食い入るように読んでいたのを思い出したよ。

tag : 東北のこと

北関東某所

そしてまた、出張先の宿である。

昨日、支度の合間をぬって妻と自宅の近所をささやかに散歩。
公園の木の枝の間で気配を消すようにたたずむツグミや、自宅のひとつ向こうの小路のお宅の庭の餌台に集まるヤマガラの姿や声をつかの間楽しみ、夕方には慌ただしく移動、フェリーに乗船、今朝、まぁ諸事情で秋田港に上陸してそこから500マイル…ではなくて、500キロ。北関東の地方都市にとりあえず到着。

今回はここから車で3、40分の町で、ちょっと建てごたえのある小学校を作ることになる。
帰るのは、また3月末か4月、毎度のことながら、因果な稼業ではある。

途中、東北道のサービスエリアで、たまたませっかくだからと買った岩手日報に赤坂憲雄と山折哲雄の対談「震災から復興に向けて 魂つなぐ伝統芸能」。どうせなら何十円かでも東北に落としていこうと思ったら、千円ぶんくらいかえってきてしまった感じ。
いろいろ連想され、イメージの膨らむ豊かな言葉のやりとり。

こんなふうにして自分はこの先も東北と、少々いびつながらもつながってゆくのだろうな。

宿舎は2DKのレオパレスに4人。さっそくブレーカーが落ちてみたり、持ってきたコーヒーメーカーがいかれていたり挙句はノートPCの電源コードを忘れてたり、まぁドタバタして仕度したなりに、締りのない出張スタートはいつものこと。

せめてタイトルだけ「謹賀新年」

年明け一発目のブログくらいコトホイだものにしたかったのだが、正月早々「そーいや『反原発デモ』とか最近どーなっておるのだ?」とか、ググってしまってある意味予想どーり絶望的な結果を見てしまったもんで、皆様におすそ分けしつつ軽く叱咤したい。

どーやら先月あたり、反原発デモの結集は2、300人規模のよーだ。見に行ったわけではないから、違っていたら即土下座するが、ほんの3ヶ月ほど前に万人規模で集まってお祭り騒ぎしていたお前ら一体どこへ行った?


以下は、今年の夏ごろパソやスマホで時間かけて綴りながら、ウェブに公開できずにいたテキスト。




「デモ」

どうしても、この間のデモの盛り上がりに、冷ややかになる自分がいるのよ。

体制に異を唱えている=大きな力に立ち向かっている自分が、同じ志の大勢の隊列の中にいる、っていう高揚感や一体感とか、おれは経験的に警戒せずにおれない。
社会の上部構造に変革を求めていく方法のひとつとして、デモンストレーションという表現を否定するつもりはないし、権力や、それに付随する広報手段、早い話マスコミね、を持たない立場のものたちには、あらゆる表現手段を少なくとも自ら規制する必要はないとも、思っている。

ただ、「上部構造」はあくまでも上部構造で、生身の人の社会の本質ではないのではないかというのが、今のところのおれの問題意識の核なわけ。

それともうひとつ、「デモは権力を持たない側の表現手段」云々、ていう言説にも、微妙に違う感が、あるんだな。

「表現」なら、マイルスやコルトレーンの、魂削るようなひと吹きと、同じ覚悟でいるのだな、左様相違ないなっ。とか、つい言いたくなる。

原発を誘致した土地の皆さんが、ある種デタラメな甘い汁を吸ったのは、今さら否定なんかできないだろう。でも、そんな地方のかつての産業基盤では食えない経済構造見て見ぬふりして、その構造にあぐらかいてできた原発で発電した電気で便利な生活享受して、早い話が心のどこかで地方を見下して生きてきたおれを含めた都市部の人間が、この期に及んで、自分と自分の子どもらの、心配に汲々としているのは、言い方は悪いが「今さらナニ言ってんの?」とも思えてしまうのよ。

もっと言えば、小泉がブッシュの戦争に加担した時に、今回の原発を巡るくらいの騒ぎになって当然だったと思っているし、あのときに万人規模のデモンストレーションがなされていて欲しかった。

前にも書いたが、おれはあの時には情勢のエスカレートの仕方次第でこの国がテロの対象になることもありうると覚悟した。中東の子供たちに空からいきなり災厄が降りそそいだのと同様に、おれのかわいい甥っ子たちにも、ある日彼らにとってはいわれのない災厄が、降りそそいだとしても、決してそれに、報復で返してはいけないと、そんな覚悟で生きていかなきゃあならんのだなと、一通りのシミュレーションをした。

あのときは、囚われた日本人を確かずいぶん多くの方々が「自己責任」と罵倒されていたと記憶しているが、今、長年この国の原子力産業放置して、便利で快適でエアコン回し放題、ネットも繋ぎ放題の暮らしを享受してきたおれらが、今ごろ放射能被るのだって「自己責任」だと、もし言われたらどう反論するのだろう?
あーまぁこれは、「原発いやなら電気使うな」とか「いやなら自家発電すれ」みたいな幼稚な議論ではあるがな。
こんな土俵で相撲とってちゃ、いつまでたっても本場所は開催できない。逸脱。

もちろんおれはあの忌々しい「自己責任」なんつー言葉は、行政が自分らの責任回避したり、弱いもの切り捨てたりするために流通させたよっぽど無責任な方便だと思っている。上から目線で言われなくても、大人の行動は全て最後には自分に返ってくる、てめえの責任でやってるのなんざ当たり前だ、It all comes back to me.


念のために言っておくとあの時拉致された日本人については、彼らが携わっていた活動については、評価は保留であるが、この国の国策であった、ブッシュの戦争への加担でなかったのは、もちろんいろんな意味で救いであったと思っている。


デモの参加者の皆さんは権力側からも、権力側にアンチを唱える様々なグループからも、自衛する意識が、どうもあまりに薄いように見えて仕方がない。素性バレバレのWebのアカウントから、デモへの賛同や参加を表明したり、顔の特定できる映像を公開するなんざ、初歩の初歩。「恥ずかしいことやってない」とか、子どもみたいなこと言ってるうちに公安から特定されて、ご実家のご両親に恫喝が入ったり、怪しい組織から勧誘が来たりするのだから、自分はもちろん、他の参加者の画像や映像なんか、明らかに個人情報さらしてデモに参加してる方以外、むやみに発表するべきではない。


「市民」て言葉もおれには「プロレタリアート」同様胡散臭い。


この辺り、それこそかつての新左翼運動へのアレルギーっぽくとられそうだが、悪いが今日びの「一般市民」よりは、新左翼運動くらいは、たぶん余計なことまで知っている。
その上で政治に、それこそ福島のあの建物がそうであるように、人が作ったゆえに間違いなく不完全な「組織」がついてまわるどうしようもなさに煩悶した末に、組織や政治や早い話が権力機構、マルクス主義でいう上部構造なんて、本当に人が幸せに生きるために必要なものの本質ではないのではないかという、やはりいつまでたっても不完全な答えしか出ない命題に、かれこれ20年以上もイライラ取り組んでおるのだ。


原発なんかなくなればいいと、当然思ってはいるが、こんなことになってしまったこの国で、例えばいまだに苦難や不便やもちろんさまざまな不安にも直面しておられる被災者の皆さんも、認めたくはないが予想される様々な放射能障害を被る方々も、ストレスなく生きられる環境を私らが作る他ないのだよな。たぶんそれは、たんに「原発がなくなった」だけでは実現されるものではなくて、本当に、弱いものや傷ついたものたちを、容易く同情するのではなく、弱くても傷ついていても、そうでない人々と対等であると、誰もが当たり前に感じて生きていられる世界を、本気でつくっていく覚悟を、あらためてしたいし、求めたい。  
[EOF]


と、まぁこのくらいの覚悟もない方とは、この話題については語りたくないのが本当のところなのだよ。
デモに参加した高揚感は気持ちよかっただろう?
あの時の正義感はどこに行った?


Where Have All The Flowers Gone?
WHEN WILL THEY EVER LEARN ?

これを見てもっかい考えよーー。

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